高校時代の教師陣は曲者が勢揃いしていたけれど、なかでも現代文の先生は別格でした。
首に色鮮やかなパーカーを監督巻きし、冬場でも顔に汗を垂らしながら教室に入ってくる先生。片手にうちわ、もう片方の手には『ガラポン』を握りしめています。
『ガラポン』というのは彼の自家製で、透明の容器の中にサイコロが入っていて、出た目の組み合わせで出席番号を読み上げ、生徒を当てます。
「バチコーン」と謎の効果音を口で発しながら、ガラポンを教卓の上に転がし
「ん〜〜じゅうさんば〜ん 貞広」
出席番号が呼ばれ、ドキッとします。
授業が始まる前、2名ほどの生徒が当てられ、必ず恒例の質問をされるのです。
「あなたが今日、下した決断はなんですか。」
文系か理系かの決断。選んだ制服のセーターの色の決断。大きなことから小さなことまで、すべての決断には理由があるので、その決断と理由を説明する、というものです。
質問の内容は予め分かっているはずなのに、普段「考えて」いない分、先生に当てられてから頭を回転させます。
あれ今日、どんな決断したっけ。
学校に来るまでの1日、したことを必死に思い出そうとします。
青いセーターを着ることにした。なぜなら、青が好きだから。あれ、でもなんで青が好きなんだろ。
一度考え始めると脳みそが爆発しそうになります。
「己の決断を尊め」と言う先生をよそに、考えるのを放棄してウケ狙いに走っていたのが高校生の時の私でした。
高校を卒業し、ガラポンの脅威からようやく解放されたと思ったけれど、大学に入って待っていたのは倍以上考えさせられる環境でした。
まずは、ルームメイトの口癖。
“So Kia, what are you thinking?”
きあ、今何考えてんの?
会話の合間、部屋の机で向かい合ってる時。沈黙があれば不意打ちで聞かれます。でも、大概何も考えていないので、んーえーと、と、無い考えの中から、考えを探ります。
ディスカッションの授業で ”What do you think?” と聞かれる時も。
誰かから”so how has your week been?” (今週はどうだった) と聞かれる時も。
普段から「考える」という習慣がなく、その日の気分とノリで今まで決断してきたからか、何が欲しいとか、将来こうなりたいとかも、ようわかりません。
さて、困ったら相談です。
哲学の授業を趣味で取り、「楽し過ぎて髪を乾かすのを忘れちゃったよ Hahaha」と目の前で大笑いしながらペーパーを仕上げているルームメイトに聞いてみました。
「考えるのが苦手なんだけど、どうすればいいかね」と。
もはやカウンセラーのような存在になっているルームメイトが口を開きました。難しいよね、と。
「やっぱり、考えないほうが楽だしね。日記も、めんどーな時は、ただ今日起きた出来事書いて。課題の本とかも、さらーっと目を通して、ただ内容を「把握する」。締め切り間際だと特に、課題終わらせて、よっしゃ終わった、さよーならーって、で振り返らないみたいな。
But it’s not about being done, you know.
でも、ただこなせばいいってことじゃないよね。
課題の本も、1ページずつ止まってみて。さて、この1ページを読んで、私はどう思うんだろう、どう感じるんだろう、って心に尋ねてみる、とかね。で、メモする。超時間かかるし無駄だと思う時もあるけど、そのうち慣れるよ。」
ふむ。
「考える」のは筋トレのようなものなのかもしれない。意識しておこなって、最初は辛いしめんどくさいけど、何度か繰り返していくうちに慣れる。
彼女はもっと考えたいから、と言ってペーパーの締め切りを1日延長していました。
“Thinking is a choice, Kia.”
「考える」という行為は一種の選択よ。
彼女はそう言いました。
ルームメイトはたまに、ベッドの上に胡座をかいて瞑想しています。つまりはそういった時間を設けなければならないのかもしれないです。
自分はどう思うのか、どう感じるのか、誰かから聞かれる前から、常にお問い合わせしなければならない。自分から。
おーい、と。
なんで今ブログ書いてんだっけ、とか。そもそもなんで生きてんだっけ、とか。
何層も何層も掘っていく。
昨日、ルームメイトと買うパンを選んでいました。
白い食パンか、りんごとシナモンのパン。
りんごとシナモンは嫌だよと私は言うと、なんでよ、と彼女は挑発的に聞いてきました。
食パンが欲しいからだい、と私は言うと、彼女はニヤリと笑い。
「ほら、何が欲しいかわかってるじゃん。」と。
「そういう小さいことから意識すれば良いだけよ。」
彼女は偉そうに言いました。偉そうだけど、すっと言葉が入ってきました。
Thinking is a choice.
がらがらがら、ぽん
教室に響くサイコロの音。
あなたが今日、下した決断はなんですか。