買わなかったブレスレット

再び、カンボジアにてのこと。

お店でジュースを飲んでいたら、7歳くらいの売り子が扉を開け入ってきました。

少年は、色とりどりのブレスレットがぶら下がっている棒を両手に持ち、こちらのテーブルに近づき、私たち二人を恥ずかしそうに見てきます。人生初めて見る児童労働に戸惑っている傍、ルームメイトはクメール語で少年に話しかけます。

途中彼女は、私の方を指さし、何やら少年に耳打ち。
すると少年は私の方を振り向き、ブレスレットを見せてきました。
状況がいまいち理解できていない私に、ルームメイトは説明してくれます。

「この人の方がお金持ってるから、彼女が買ってくれるよって伝えておいた、あはは」とのこと。
なんというなすりつけでしょう。

なんでやねん、と私が文句を言っていると、同じ店にいたイギリス人男性が「買っちゃダメだよ」と注意してきます。彼はボランティアで半年間カンボジアに滞在しているとのこと。

「お金をあげたところで、正しく使われるか分からないし、児童労働を推奨することになるから」と。

私も同意します。

数ドルあげたところで、少年の人生を変えられるわけじゃない。

お金をあげるなんてただの自己満足だよねと。

黙ってもじもじしていた少年は、しばらく立ち止まっていたあと、収穫が見込めないお店を出て行きました。

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夜、ルームメイトが聞いてきました。

「なんで買わなかったの」と。

君も買わなかったじゃないかーいとツッコミそうになりますが、彼女は私を咎めているのではなく純粋に理由が知りたいと分かっているので私は答えます。

お店にいたボランティアのイギリス人男性と同じ理論よ、と。

7歳の少年にお金をあげたところで、所詮、親の手元にいく。小さい子供を道に出して働かせるような親に、正しいお金の使い道がわかるか不明。それなら、団体に寄付した方が、効果的にお金が使われる。

ルームメイトは、言います。

「さっきの少年、学校に行きたいんだって。」

私は言い返します。

「親にそう言えって指示されただけでしょ。同情されるように」

少しの沈黙のあと、ルームメイトは、口を開きます。

「うちのお母さんは、あの少年みたいに9歳から道端で働いていて、それで教育を受けられた。で、いま病院で働けている。

いつも私たちはさ、お金が正しく使われないんじゃないか、って考えるよね

例えばあの少年が、教育にじゃなくて薬物に使うとする。クッキーを買ってぼりぼり食べるのかもしれない。もしかしたら靴紐がついている素敵な靴を購入するかもしれない。で、私たちは思うわけよ。すでに草履を履いているんだからそれで十分だろうに。新しいのを買うなんて無駄遣いだ。あの人たちはお金の使い道を理解していない。やっぱり、お金あげる価値がなかったって。」

「でもさ」

彼女は言います。

「少年が、教育のために使うはずのお金で、クッキーを買うのって。

それって本当に、無駄遣いなのかな?」

「何が必要で、何が必要じゃないかを判断してさ。常に他人を「正そう」とする。純粋にあの少年は、私たちが経験した普通の子供時代を送りたいだけなのかもしれないのにね。

お菓子食べて、綺麗な靴を履いて。あるいは本当に、学校に行くために働いていたのかもよ。
団体に寄付したところで、実際にさっきの少年に行くかって、いかないんだよね。せっかく寄付したお金も、ほとんどが組織の闇に消えるんだよね。」

ふむ。

そもそも私は、目の前の少年にお金をあげなかったからって、代わりに団体に寄付をするのでしょうか。恐らく、しない。

自分たちは無駄なものを日々買いながら、他人のお金の使い道を厳しく批難する。


「いつから私たちはこんなケチになっちゃったんだろうね。」

彼女は言いました。

“Sometimes we forget what we have.”

「たまに忘れちゃうよね。自分たちが何を持っているのか。」

ブレスレット。棒にぶら下がっているのを全部買っても10ドルかからなかったでしょう。

自己満足だ、何に使うかわからない、とかなんとか言っているより、大事なのはもっている人があげるという心の余裕なのかもしれないですね。

何が正しいんですかね。