松葉杖で洗濯はできん。

さて、松葉杖生活が始まり4週間です。いい天気ですね。 怪我をしてから、腕の筋肉がムキムキになっていること以外に、気付いたことが2つあります。

①目立つ

松葉杖をついていると、目立ちます。 一人だともちろん、松葉杖2人だとさらに威力が増します。 偶然、同じタイミングで怪我をした後輩の小林太一くんと会った時です。 私が水曜日に病院に運ばれたと言ったら「俺は、火曜日。」と少し自慢気に言われました。 彼もサッカーで怪我したとのこと。 二人でThayer通りを歩いた日の光景といったらなんとも、もう。

コッツ、コッツと響き渡る間抜けな音。 二人並ぶ、松葉杖。

本人達は脇汗をかきながら必死に杖をつくけれども、歩行者よりも遅いスピード。

松葉杖愛好会の集会か、二人とも同時に交通事故にあったのか と、通り過ぎる人々は想像したに違いありません。露骨に振り返るか、笑えをこらえ、口の周りをモホモホさせるかどちらかの反応を示します。

ACLを断裂した患者A(写真左)と半月板を負傷した患者B(写真右)なぜ笑顔なのでしょう。

松葉杖に括り付けている赤い風船も原因かもしれませんが、とにかくかなり露骨に視線をいただきます。

大学からはというと、エレベーターがある建物に住んでもらおうと、なんと寮の部屋をもう一ついただいたり、授業を行き来するための送迎バスを用意してもらえたりかなり面倒を見てもらっていますが、

もう一つ気づいたこと。ちょいと真面目な話。

②助ける、ことについて。

私に対しての接し方で、人のあり方がよく見えてしまいます。

一般的に、皆、知らない人でも驚くほど優しくしてくれます。ドアを開けてくれたり、ものを運んでくれたり、話しかけてくれたり。

一方で、「面倒をみる」にも段階があるのだと気付きました。

The fundamentals of caring という一話の途中までしか見ていないドラマでこんなセリフがあります。人の面倒をみるとき、大事なのはアロハだよと。

A: Ask

L: Listen

O: Observe

H: Help

A: Ask again

特に最後の ”Ask again”で、その人が自分のことをどれくらい気にしてくれているのか、よくわかります。

「大丈夫?」と一段階で終わるんじゃなくて。

再び、「本当に大丈夫?」と最後まで付き添う

ってとこです。

女性の扱い方初級編で紹介されていそうなコツですが、「別に、怒ってないよ。」と女性が言った際「あ、そっか!おっけー」と頷いてしまったら、冷たい視線、場合によっては蹴りが飛んでくるのと同じように、「大丈夫よ、助けはいらないよ!」というのは本当にその通りで助けが欲しく無い場合もあるけど、案外そうでないことの方が多いような気がします。

困っていたら、そのまま言えばいいのに、と怪我をする前は思っていたのですが、これがかなり勇気のいることだと気づきました。無言で助けてくれるのが一番、助かります。
まぁでもほとんどの場合、なんだか申し訳なくなって断っていますが。

ついでに、特にアジア人に多いのですが、ドアを開けてくれない人も100人に1人はいて、開けてくれた場合でも、2つドアがあったとき手前のしか開けてくれない人もいて、そういう人をみると「ん?」って思ってしまいます。

時間に余裕がある人とか、お金に余裕がある人とかと一緒で、自分のことをすでにできていると、相手のことを考えて、面倒をみる余裕が生まれるのだなぁとつくづく思います。

あとは実際にその立場を経験したことがあるかどうか。

なければ、想像することができるかどうか。

心の余裕と想像力。

・・・といった、助ける側の心得をパソコンで打っていた矢先、ルームメイトに言われました。

「貴亜、なんで悲しんでるの」と。

特にそういったつもりはなかったので、ちょいと驚きます。

「いや、悲しんでいる。」と彼女は断言します。

そこまで言われると本当にそんな気がしてきます。

そして彼女は両手を広げ、満面の笑みで言いました。

「謙虚になるいい機会かもね。」

と。

私は意味がわからず聞き返します。どういうこと、と。

「何が欲しいのか、どうして欲しいのかを周りの人に言いなよ。全部一人でできる、もしくは何も言わなくても誰かが勝手に助けてくれるって思うんじゃなくて、人を使えるいい機会なんだから。自分から助けを求めな。じゃないとずっとそのままだよ。ベッドの上に座って、痛い、なんもできないって、ただ状況を悲しむだけ。」

ふむ。

ふと気づきます。

稀に登場する、助けてくれない人たちに対して、なんて気が使えないんだとぶーぶー言ったり、そのわりには助けようかと言ってくれた人の手を払ったりしていたけれども、私自身、助けられる側にも心得があるはず。

でもその前に、私は反発します。

「助けを求めることこそ、傲慢でしょ。自分でできることは、自分でしたい。人に迷惑かけたくないから助けを求めないのよ。」と。

んまぁ謙虚さと傲慢さ、両方必要なのかもね、と彼女は言います。

「ただ、迷惑になるなんて思う必要はないよ。周囲の人が、助けようか?っていってる時点で、挙手して、私はやりたいってボランティアしているんだから。関わりたくなければ、人って結構正直に断ってくるから笑」

再び女心の例でいうのであれば「なんで、怒ってるの」と聞かれたら「別に。」とくだらない意地を張るのではなく、せっかく本当の理由を話せるいい機会なのだから、そこはただ素直に理由を言えばいいのかもしれません。

助けようか、と言われたら、「あなたの助けなんかいらないわよっ」と強がるんじゃなくて謙虚になったほうがいいのかもしれません。

助けを待っていて、差し伸べられた手を断って、なんで誰も助けてくれないのかしら、なんで誰もわかってくれないのかしら、と自ら進んで孤独になるのではなく。

差し伸べられた手は取るべきだし、助けが欲しいなら欲しいというべきなのかもしれません。

助ける側は、想像力と余裕

助けられる側は、謙虚さと傲慢さ。

「私はここにいるんだから」

彼女は私をじっとみて聞いてきます。

“What do you want me to help?”

何をして欲しいの

しかし、その話を聞いた後でも、助けを求めるのはやはり難しい。20分の沈黙。彼女はそれでも静かに、黙って椅子に座っています。

「せ、洗濯物を、地下の洗濯機まで運んでくれますか」と言うのにかなり時間がかかったけど、ルームメイトの返答は即座でした。

「あったりまえよ」

そうして彼女は「何これ重いわ。ウゲー。信じられん。」っとしっかり文句を言いながら洗濯物を下の階まで持っていってくれました。

やはり、一人で運ぶより軽かったです。

おわり